戦後まもない昭和23年、
手元にあった医療器具は、聴診器ひとつ。
私たち清風會は昭和23年開設の森醫院を前身に、半世紀以上にわたり岡山県北東部の皆様と共に歩んできました。海軍軍医だった初代理事長の森忠夫は「九死に一生を得た残りの人生は郷里の皆さんに捧げよう」と決心し、終戦直後で物資のない状況の中、奈義町に診療所を開設。聴診器たったひとつからのスタートでした。


患者さんのもとへこちらから出向き、出産から看取りまで。
家族ぐるみで人生を支える。
戦争で何もかも失ったため、治療に必要な薬と交換するために診療報酬代わりに戴いた米や野菜、時には妻の着物を差し出すこともありました。当時の医者はなんでも診なければならず、内科はもちろん、皮膚科・泌尿器科も診れば盲腸や胃の手術も行い、町の助産センターでは数々のお産を取り上げ、設備や技術以上に患者さんのための気持ちや親身になる姿勢を大切にしてきました。現在のプライマリ・ケアの原点がここにあります。
そして、昭和31年に社団医療法人清風會を創立し、日本原病院、湯郷診療所、豊田診療所の3か所を拠点として、地域の医療福祉のために昼夜を分かたず貢献してきました。
2代目理事長の森浩郎は平成に入ってすぐ、当時は未開拓だったリハビリテーションに着目し、県内2番目の老人保健施設を開設しました。清風會の理念でもある「自律の支援」の1つです。また、奈義町と川崎医科大学の理解と協力の下、全国でも数少ない家庭医のモデルクリニックの経営も始めました。先代同様、昼夜を分かたず医療を実践する傍らで、自分たちにできる限りの医療機能向上に努めてきました。


「自律」=「あなたがあなたらしく生きる」ために、
一緒に考えていきたい
現理事長 森崇文に変わっても初代、先代理事長の精神は受け継がれています。『自分で選んだ人生を自分らしく生きる』人を支えるために、日本原病院は県北で最も早く地域包括ケア病棟となり、介護老人保健施設おとなの学校岡山校は学校形式の運営やドッグセラピーや音楽療法を取り入れるなど、次々に新しいチャレンジに取り組み、県内一番の在宅復帰率80%を維持しています。リハビリテーション部門ではノルウェー発祥の「レッドコード」を取り入れたコロバン道場を開設し、リハビリの新しいカタチを提案してきました。奈義・湯郷・津山の3つのクリニックは強化型在宅療養支援診療所となり、24時間365日体制で地域の人たちを支えています。

治す医療から、支える医療へ
お世話する介護から、自律を支援する介護へ
時は21世紀を迎え、医療は格段に進歩し介護も充実してきた結果、日本は世界でも稀な高齢社会を迎えることができました。しかし、たくさんのチューブにつながれて自分で食べることもできないような、ただ生命を永らえさせるだけの「治療」や、至れり尽くせりの「介護」では、本当の意味で「生きていてよかった」と実感できる生き方ができているでしょうか。
初代理事長の頃から自然体で取り組んできたプライマリ・ケアと在宅支援、そして自律支援のためのリハビリテーションを核として、明るくいきいきとした人生を支える。今の日本が必要とする医療と介護の姿が昔から清風會にはあります。私たちは長年培った経験とノウハウを駆使し、これからも住み慣れたまちで自分らしく過ごせる、そんな地域づくりを目指し、今後も新しいチャレンジをしていきます。
沿革
1948 (昭和23年) | 岡山県勝田郡勝北町日本原に森醫院 開設 |
1956 (昭和31年) | 森 忠夫医師、私財を投じて医療法人 清風會 創立 |
1957 (昭和32年) | 医療法人 清風會 日本原病院(40床)を開設 理事長・院長に森 忠夫 就任 奈義町豊沢に、医療法人 清風會 分院豊田診療所(無床)開設 所長に安田静夫医師 就任 |
1964 (昭和39年) | 英田郡美作町湯郷に、医療法人 清風會 分院湯郷診療所(19床)を開設 |
1971 (昭和46年) | 医療法人 清風會 湯郷診療所 所長に森 浩郎医師 就任 改装を行う |
1976 (昭和51年) | 森 浩郎医師、清風會理事長・医療法人 清風會 日本原病院 院長 就任 |
1977 (昭和52年) | 医療法人 清風會 日本原病院新築65床に増床 |
1987 (昭和62年) | 医療法人 清風會 豊田診療所新築 |
1990 (平成 2年) | 老人保健施設 (ひまわり園) 新築開設(入所35床・通所20人) |
1991 (平成 3年) | 院内保育所コスモス園 開設 左野和彦医師、鳥取大脳神経内科より派遣、医療法人 清風會 日本原病院 副院長 就任 |
1993 (平成 5年) | 医療法人 清風會 豊田診療所に川崎医科大学総合診療部 田坂佳千医師 着任 医療法人 清風會と川崎医科大学総合診療部が奈義町の無医地区化対策に協力する旨を協定成立 旧豊田村学校跡地に診療所を奈義町が新築し、清風會が経営運営を行なうことを決定 |
1994 (平成 6年) | 新築完成、医療法人 清風會 豊田診療所を奈義ファミリークリニックと改称 |
1997 (平成 9年) | 医療法人 清風會 奈義ファミリークリニック所長に田坂医師 就任 家庭医療養成を目標とした活動をスタート 豊田診療所は清風會で研修医宿舎に改造 医療法人 清風會 訪問看護ステーション あゆみ 開設 医療法人 清風會 居宅介護支援事業所 介護相談センター やさしい手 開設 |
1998 (平成10年) | 医療法人 清風會 湯郷診療所 新築(無床) 理事長 森 浩郎所長 兼務 |
2001 (平成13年) | 森 崇文医師 清風會 副理事長 就任 医療法人 清風會 奈義ファミリークリニック所長に松下明医師 就任 |
2003 (平成15年) | 特定医療法人 清風會として許可を受ける |
2005 (平成17年) | 特定医療法人 清風會 日本原病院改修(60床) |
2007 (平成19年) | 特定医療法人 清風會 津山ファミリークリニック 開設 所長田中久也医師 就任 特定医療法人 清風會 湯郷診療所所長に佐古篤謙医師 就任 |
2009 (平成21年) | 湯郷診療所を特定医療法人 清風會 湯郷ファミリークリニックと改称 介護老人保健施設(ひまわり園)を「おとなの学校 岡山校」に改称 学校形式の運営導入、在宅復帰のためのリハビリを強化した老健をスタート 校長代行に森 夕子医師 就任 |
2010 (平成22年) | 清風會内 法人ユニットとして、家庭医養成を強化する「岡山家庭医療センター」をスタート |
(4月) | 医療福祉相談室 開設 |
2011 (平成23年) | 特定医療法人 清風會 理事長 森 浩郎 退任 会長となる 理事長に森 崇文 就任 医療法人 清風會 創設者 名誉会長 森 忠夫、岡山県奈義町名誉町民第一号として表彰される 医療法人 清風會 日本原病院に回復期リハビリ病棟 開設 回復期リハビリ病棟30床、療養型病床30床に変更 短時間通所リハビリテーション コロバン道場 日本原 開設 家庭医療看護師養成プログラム スタート あゆみで訪問リハビリテーション 開始 |
2012 (平成24年4月) | 津山ファミリークリニックに所長として 大門友博医師 就任 特定医療法人 清風會 奈義・湯郷・津山ファミリークリニックが在宅支援診療所となる 日本原病院病棟を回復期リハビリ病棟34床・療養型病床26床に変更日本原病院相談室を 清風會 継続ケア支援室 ほっとスマイルとしてシームレスな医療介護連携を強化 |
(7月) | 介護老人保健施設「おとなの学校岡山校」が、 在宅復帰強化型老健としての活動を本格化する。 |
(8月) | 特定医療法人 清風會は社会医療法人 清風會としての認可を受ける 理事長 森 崇文 就任 美作市立 粟井診療所 運営開始 |
(11月) | リハビリ特化型デイサービス コロバン道場 高野(津山市)開設 |
2013 (平成25年2月) | 「くるみん」取得(県内21番目)子育てサポート企業として認定を受ける 回復期リハビリテーション病棟施設基準Ⅰを取得 |
(4月) | 津山ファミリークリニックに所長として 大倉佳宏医師 就任 日本原病院病棟を回復期リハビリ病棟36床・療養型病床24床に変更 美作市立 英田診療所 運営 |
(7月) | リハビリ特化型デイサービス コロバン道場 院庄(津山市)開設 社会医療法人 清風會 梶並診療所 開設 日本原病院 心療内科診療開始 居宅介護支援事業所 「介護相談センター やさしい手」を 「ケアプランセンター ほっとスマイル」と改称 |
2014 (平成26年) | 小規模多機能型居宅介護事業所 「あかるい農村つやま」開設 石井雅之医師、社会医療法人 清風會日本原病院 院長就任 上山診療所開設 「ケアプランセンターほっとスマイル美作」開設 |
2015 (平成27年) | 日本原病棟、全床 地域包括ケア病棟に変更 おとなの学校岡山校で訪問リハビリ「お家リハ」スタート |
2017 (平成29年) | 日本原病棟栄養課 嚥下食メニューコンテストで最優秀グランプリを受賞 おとなの学校 岡山校で、4匹の犬たちと共に ドックセラピーを開始 |
2018 (平成30年) | おとなの学校岡山校が在宅復帰超強化型の 介護老人保健施設となる |
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